2011年4月28日木曜日

夢二十七夜「キミ 98歳」


家人の母、松浦キミは大正二年四月二十八日生まれ。今日、98歳の誕生日を迎える。車いすと介護ベットの生活であるが、娘の手厚い、戦いの介護に守られ今日を迎えた。

口癖は「わし、ほっぺツルツル。百まで生きるんだ」。痴呆もかなり進んで来ている。毎日が娘との戦いである。

介護の日々を詠んだ歌「夜に朝に歳老いし母介護する妻の戦い涙溢れん」で、NHKフォト短歌大賞を頂いた。

時折はっとする正常な会話の時もある。時折はまるで幼子になってしまう。赤子になろうと100歳までは生きてほしいと願っている。








母の記憶には若かりし頃の故郷の家のことばかりである


雪融けに窓の外見て一人言う
      
    大根の種、わし蒔きに行く




ももとせに近き母は若き日の
         
       田畑耕す事だけ語る




わし明日、家に帰ると母の言う
        
       言葉に戸惑い妻涙ぐむ




お父さんお世話になって有難う、
       
     今日休みならわしを送って



妻をおも区別つかずに娘呼ぶ

     母のわがまま心いずこに



100歳の祝いを迎えん指折りて

      700の日は赤子なりとも


100歳を迎える日まで.........




2011年4月25日月曜日

夢二十六夜「桜の季節」

北の街、函館にもやっと花の季節の到来である。ここ数日、花も咲いてないのに花冷えの様な気候が続いている。梅も桜の花も一休みである。

もう少しみちのくに留まっていたいのだろうか。被災者の方が少しでも癒されんと。

山間の辛夷の花が咲き始めた。ミルク色の花を恥ずかしそうに覗かせている。街路樹のナナカマドは北の街に一番に緑濃き葉をつけ始めた。函館にも待ちに待った春の到来である。






大阪櫻三首


花びらは何処に流れ消えゆかん


    我も同じか、はかなく静かに






散る桜、薄雲のやうに流れゆく


  その花びらにまた出逢う日は






花びらは艶やかさ少し残さんと


   小川を埋めし一瞬見惚れん











Twitterに俵万智嬢を発見。男のお子さんと二人暮らしの様である。
お初に失礼します。初対面、ご無礼お許しを......。駄目句三首




Twitterに名を見つけし俵万智、


     湘南の海は遠き思ひ出




母親になり優しさは変わらない


   子への愛情ただひたすらに






携帯を機械は苦手と俵万智、


  ひとつ一つの文字が響くの








災害に襲われた陸奥にも春の便りが.....


巡り来る 花の香りに 包まれん 


   
   みちのくの地に 桜の花咲き








鎮魂の 喪章を胸に 輝かん


  
   桜の下に ピカピカの 子たち








恋歌は......


恋の歌 詠う時には 恋知らず 




   誰の事かと 我が生き様










恋歌は 誰に向かひて 詠まんとし




     叶ふ事なら あの人のこと










老木の 桜木のやうに 我は詠む 


   枯れても花を 咲かせる素敵





薄紫の夜明け




朝焼けの函館。心が洗われる様な冷んやりとした朝。

朝焼けに 溶けてしまいそう 我が心


          薄紫の 今日始まり




青、蒼く 輝く街に 我一人 


   
    初恋匂ふHakodate blue








大阪在住の友人が結婚した。満開の花空の下、おめでとうございます。


逢ふ坂の卯月四日の桜花


  これ見よがしに我らを祝い






春の陽にそよ風温む北の地の


 梅のつぼみもポットはにかみ










2011年4月20日水曜日

夢二十五夜「東京雑踏」


大腸内視鏡検査で上京である。東日本大震災以降大都会、東京もひっそりとしている。

羽田空港も、東京駅も、Macも、館山も、首都高も、大宮も、浦和も、電車も。何処もかしこも空いているのである。新丸ビルのレストラン街も。皆な何処にも人が少ないのである。







偽ビール LAWSON弁当 我食す


    一人座りて 孤独も味はう 






スコープで胃、大腸など診るやうに


      我が心も 見透かされてる  






掃き集め 花びらのやう 


    我れが人生(みち) 
    
     虫けらのやう 春が来るとも






時間が出来たので東京見物。 


晴れ空に 爽やかな風 吹き抜ける


      緑に透けて 新丸ビルは










六階の 革のソファーに 身を包み

     Twittするは 時を忘れて




招福樓 いなば十四郎 マンゴツリー 

      何処の店や あの人とは


若葉に透ける新丸ビル







寄り添いて 壁に向かいて 座り皆、


      無言で食す 我、朝Mac






ありがとう いらっしゃいませ だけ


 響く 我も一言 マフィンとコーヒー





春霞の函館。巡り来る誕生日に。


春かすみ花の香りに包まれて


   弥生のことなど今は忘れて








雲に乗り悟空の様な私なれ


    何の願いも叶わぬ儚さ






梅の香もすぐそこ迄に近づきぬ


      我を祝いし今日六十三













夢二十四夜「春歌」


北国の春は忙しい。春の眩い陽は雪を一生懸命融かさなければならない。


北の地に住む人達に待ちに待った希望の眩さを与えなければならない。卒業式の準備もある。やがての入学式もある。


それを邪魔するように春嵐が雪をもたらす。忙しい毎日を過ごしながら桜を待つのである。



卯月七首 
待ちに待つ 春の訪れ 粉雪の


     舞ふ函館は 我の恋かと








春、卯月 梅の香も無し東風吹きぬ


       粉雪の舞ふ函館冷たく






長歳に耐えて我が家の桜木は


   太幹朽ちても花びら咲かせ






卯の花の溢れんばかりの白き花


   たわわに咲きて垣根に匂う






白色の卯木の花の匂いたち


  夕暮れ静かおぼろ月夜に








青空に向いて詠みし歌にただ


    風の音だけ我は道化師








白魚にたとえし蕾みの指なれど、


   せめてサバとか君照れて言う



ユキヤナギの清楚な花が.........




文月さんの温かき言葉に助けられ三首


文月の 君の言葉に 助けられ 


         青空に向け 我歌詠まん








問いかけて 問いかけても 君の名は 


             文月としか 帰りきぬ今日








君書きし 言葉は我を 勇気づけ 


   やさしき歌を 我、今日も詠む









2011年4月18日月曜日

夢二十三夜「鎮魂歌」


三月十一日14時46分。未曾有の大災害が東日本を襲った。

何と言う悲惨な出来事であろうか。一瞬にして町並みを根刮ぎ持ち去り、幾万の人を攫ってしまったのである。

被災を受けた皆様には心からお見舞い申し上げます。風評被害、全国的に経済活動の自粛。

今回の被災は東日本だけの事だけではなく、日本全土に影響を及ぼしている。

我々は手を取り合い一日でも、一時間でも早く昨日までの幸せを取り戻さなければならない。

皆の笑顔を取り戻すまで.........。








ムックリ−7「東日本大災害」チャリティーコンサートに捧げる


3.11 Tsunami 鎮魂


弥生三月 十一日

静かに眠れる 海原の

遠く沖より 襲い来る

全てを流さん 大波は



家族と戯れ 温かき

きのふの姿 今いずこ

幾万の民 拐(さら)われん

幾万の家 流されん



荒れ荒れ果てた わが町は

何も残さん 瓦礫野に

我立ち尽くし 涙枯れ

明日の希望を 見出ださん



大波遥かに 去らんとて

見えなき恐怖 襲い来る

我らが幸を 追いやりて

恐怖の悪魔 忍び寄る



ふるさとを捨て 遠き街

友、散りじりに 別れても

忘れはしない  君の香を

いつかは戻らん 故郷に



Tsunami 襲いし 函館の

ともしび消えし ベイエリア

我ら手をとり 必ずや

元に戻さん わが街を



やがて桜の 咲き乱れ

みちのくの地に 花のかほり

覆いつくせよ 花びらよ

全てを染めよ しあわせに



我ら必ず 立ち上がる

たとへももとせ 掛かるとも

昨日の幸せ 戻るまで

あしたの笑顔 見えるまで


君の微笑み 見えるまで.....。









人影もなきベイエリア




鎮魂四首


人影も 無く静かなる ベイエリア

      三日月寂しく 鎮魂の時




あまりにも 酷き姿の ふるさとの 

    たった一日 昨日に戻どさん




降りしきる 淡雪つもる わが街の

      余りに綺麗  すべてを隠し




あまりにも 惨(むご)き避難の 

 生活を 冷たく映す ジッと見る我










2011年4月12日火曜日


夢二十二夜「朝日歌壇 ホームレス歌人 公田耕一」



すい星の様に朝日歌壇に登場し、消えて行った歌人、公田耕一。その人の住所はホームレスと記されている。公田は感性に溢れた命の歌を詠い続けて来た。

まるで俵万智を思い出させる。心の揺れを素直に詠っているのである。自分の置かれている境遇を素直に表現しているのだ。

歌の表現の中には知性と教養を感じさせる。短歌の素養も豊かである。




公田耕一 詠みし歌


美しき星空の下眠りゆく


     
       グレコの唄を聴くは幻






柔らかい時計を持ちて炊き出しの




      カレーの列に二時間並ぶ







百均の「赤いきつね」と迷いつつ




     月曜だけ買う朝日新聞







日産をリストラになり流れ来たる 




      ブラジル人と隣りて眠る







雨降れば水槽の底にいる如く 



  図書館の地下でミステリー読む   





我が上は語らぬ汝の上訊かぬ

     梅の香に充つ夜の公園


ホームレス


  歌人の記事を他人事の


    やうに読めども涙零し





鍵持たぬ生活に慣れ年を越す



  今さら何を脱ぎ棄(す)てたのか







水葬に物語などあるならば



  われの最期は水葬で良し







パンのみで生きるにあらず配給の



    パンのみみにて一日生きる








親不孝通りと言へど親もなく



   親にもなれずただ立ち尽くす







ホームレス襲撃事件と派遣村



  並ぶ紙面に缶珈琲零(こぼ)す







一日を歩きて暮らすわが身には



  雨はしたたか無援にも降る







哀しきは寿町と言う地名 



    長者町さえ隣にはある







公田耕一氏へ一首捧げる


彗星の様にあらはれ消え行かん 




     公田耕一 師匠と仰ぐ 舟山