2011年12月23日金曜日

夢三十九夜「友の死」


友人の葬儀を終えた。何とももの悲しい気持ちである。享年59歳。

Sさんは一週間の東京出張の途中で体調を崩し急遽帰函して主治医の病院に入院した。

大腸がんから転移した肝臓がんの治療を受けていたのだ。翌日には重篤な状態になり見舞った時は昏睡であった。声すらかけることが出来なかった。

Sさんの東京出張は仕事ではなかったようだ。きつい体を忍んで連日友人、仕事仲間、学生時代の友と逢っていたようだ。

まるで自分の寿命を理解していたようである。そして大好きな函館の街に帰って来たのだ。





母よりも先に死にゆく君なれど
    母の悲しみ知るすべもなし

生涯独身であったS氏に捧げる





そして享年59歳の君へ贈る一首

還暦の祝いを先に控えしも友の命は
           今日限りなり


合掌





2011年12月22日木曜日

夢三十八夜「秋の訪れ」


北の街の短い夏は直ぐに終わる。
幼き頃は子供心に「ああーまた長いつまらない一年が続くのか」などと思ったものである。
夏のダイナミックスに替わり繊細な秋の登場である。





秋の野に枯れ木の先でもずの鳴く
     尾花風に揺れ思ひ出巡る



晩き秋落ち葉の絨毯歩きおり
    カサゴソカサと石の歩道に



君と逢い君と別れし秋の日の
     せつなき思ひ今は忘れて



ベランダに臥牛の山の迫り来る
       紅に黄色に秋麓まで




日の出ずる津軽の海峡(うみ)の静けさに
                             寺の音響き秋深まりて




津軽海峡に日の出




雨粒の紅き枯れ葉を包む朝
      我思う人我を思はず




甘き香も温もりさへも知らぬ吾の
      一枚の写真君の架け橋




山茶花の赤に負けじと吾も咲く
   今日に枯れてもまた咲く日まで






秋に詠った八首。


2011年10月17日月曜日

夢三十七夜「母の旅立」



平成23年8月15日午後。妻の手をそっと握りしめながら母はたった一人で旅立って行った。まるで眠るように静かに息をひきとった。本当に人生のネジが切れてしまったかの様にコトリと息を止めててしまった。








松浦キミ。98歳三ヶ月であった。「わし、百まで生きる」ほっぺを触りながら「こんなにツルツルだ」口癖であった。

惚けそして大腿骨骨頭骨折。車いすと介護ベットの生活であった。

花畑に囲まれ自家用野菜を作り、近所の友とお茶を飲み、自由気侭な一人暮らしを送っていた。

五年前、熱中症にて救急搬送された後、私ども夫婦と三人暮らしになった。介護認定、要介護3。

リハビリの為の週二回のデイサービス通所が始った。言語回復、歩行訓練、入浴、食事、リクレーションゲーム。いつもご機嫌の帰宅であった。

自宅では相撲観戦、巨人戦プロ野球、大リーグNYの松井の大のフアンであった。歩行補助機での行動であったがなに不自由なく晩年を娘と共に暮らしていた。










妻の母親であるキミは大正二年四月二十八日、函館市郊外の蛾眉野の里に生まれた。最初の連れ合いは結婚後間もなく上顎癌を患い亡くなった。子宝に恵まれずにいたキミは縁があり六男一女の家庭である松浦家へ後添えとして入った。やっと子に恵まれ、妻ゆき子が誕生した。末っ子のゆき子は両親兄弟からはそれはそれは可愛がられたという。

痴呆が進むにつれ母の症状は安定しない。食事、トイレ、入浴したことをすぐに忘れてしまうのだ。その都度「お母さん、お母さん」と呼ぶのである。若い頃の薬の後遺症で聴力はほとんど失っている。呼ぶ時は大声である。もちろん返事が聞こえないので娘が自分の視界に入るまで大声で呼び続けるのである。

仕事も持っている妻は毎日が母との戦いである。要介護4の母と同じ目線で真剣にやり合っている。



妻をおも区別つかずに娘呼ぶ

母のわがまま心いずこに


母の日を今は忘れて我が母は、

まっちゃロールを黙って食べる



雪融けに窓の外見て一人言う

大根の種、わし蒔きに行く



ももとせに近き母は若き日の

田畑耕す事だけ語る



わし明日、家に帰ると母の言う

言葉に戸惑い妻涙ぐむ


お父さんお世話になって有難う

今日休みならわしを送って


母は自ら望んだ事ではないが痴呆が進んで来ると段々我が侭になって来る。とにかく自分の侭ならない時はいつも自分の家に帰ると言うのである。


「おばあちゃん、かあさん。帰ってどうするの? ごはん作れるの? お風呂どうするの?」母は元気な頃の自分の姿を見ているのだろう。


毎日、毎晩。四六時中家人は母と戦っている。いわゆるあしらう事の出来ない妻は要介護4の痴呆の母親と同じ目線で戦っているのである。


とある夜、妻は母親とまた、真剣に議論しているのだ。相手はまともな言葉になっていないのに。「もういいだろう。おばあちゃんを殺めるなよ」


私はそう言った時、私自身が涙が溢れてきた。






夜に朝に歳老いし母介護する


      妻の戦い涙溢れん






母が亡くなる三日前、墓参りの後ショートステイ先へ見舞に行って来た。妻は一二時間ほど母の傍にいると言う。時間があるので私は近くの水源地公園へ散歩に出かけてきた。公園では家族連れがB.B.Qを楽しんでいる。小川では子供達が水遊びをしている。







私には感じ取れなかったけれど妻はどうも母親の感じがいつもと違うという。何が違うのか私には解らなかった。施設に頼んで翌日曜日に退所手続きをしている。


翌日自宅へ帰って来た母はごく普段通りの母であった。一緒に夕ご飯を食べ、デザートも美味しい美味しいと食べていた。


翌朝妻は介護タクシーを呼び、掛かり付けの病院の予約を取り診察してもらう。軽い肺炎を起こしているので二三日の入院との診断である。


病室に入り栄養補給のための点滴をしてもらった。血管が細くなっていてなかなか点滴の針が入らない。若い看護師さんは一生懸命に血管を探している。


「あのー、母が呼吸をしてない様なんですけど.......」


あっけなく母は旅立って行った。


まるで命の螺子が切れてしまった様に母は亡くなった。




ネジ式の ネジの切れたる 人形の 
   
   コトコトコトリ 静かに止まり


望月の 月に照らされ 星となる 

    明るき夜空の 星のひとつに



蝋燭の 揺れる炎の 優しさに 

  我が身を供して (たれ) 捧げん



彼岸へは 悟り開きて 渡らんと 

    娘の手握り 一人旅立つ




平成23年8月15日妻の戦いは昨日に終わった


2011年9月2日金曜日

夢三十六夜「暑き濃き葉月に詠う」



暑い夏の到来である。北の国でも爽やかな初夏から本格的な夏になると全てが濃くなり暑くなる。我が歌は恋歌が多い。

寂しい秋。寒い冬。待ちに待った春。そして初夏を迎える嬉しさ。

濃い夏にも少しだけ季節を詠う。




暑き夏に詠う

夏空に 絹の衣を かざしおり 
    
     臥牛の山も ゆらり陽炎




緑濃き 楠木の下 我憩ふ 


    高層ビルの 狭間の空見る






少しづつ 変わりつつある 世の中に 


    我だけ気づかぬ 昔に居りて



明けやらぬ東の海のあさぼらけ 


  朝日のやうに 爽やかに






歌会始に詠進しない「岸」歌三首




寄り添いて桜爛漫、岸辺には


     今は君なく水の流るる




二人して歩く岸辺の砂の道 


     星空見上げ何を誓わん






なにごとも無かっやうに岸辺には


      蒼く輝く月に照らされ








爽やかな風が入って来る綺麗な十三夜の月影




君の弾く調べは遠く半月に


     響き聞こえん今日十三夜




我も弾く空を仰ぎて哀しくも


   レソファソソラシラ海原に居り




若人の快音聞こえ西方の街に


       球児の白球追いて




今はもう忘れてしまいバル街の


    君の奏でるふるさとに帰る





友人が若葉の京の都での結婚式に贈った二首である。「繭のやう優しく君を包まんと京の都に我誓う日に」「ふりそそぐ若葉のやうな優しさに私あなたに永遠に抱かれて」。来年の三月赤ちゃんが生まれるそうだ 祝歌一首。



手を置きて優しき動き確かめん


       弥生三月私の花咲く





友人のふるさと福島は今は誰もいなく


ふるさとの墓に参りしみちのくの


       緑の里山何も語らず




葉月十三首。やがて季節は秋へ











2011年8月13日土曜日

夢三十五夜「四度目の満月」




未曾有の大震災から早、五ヶ月が過ぎた。盆の入りである。みちのくに帰省する人たちも多く居る。でもふるさとは変わり果て、家も流され家族さえまだ行方不明の方が複雑な気持ちで新盆を迎える。

友人は炉心から50キロの地に住んでいる。震災当初は「50キロも離れているので大丈夫よ」と言っていた。情報が少しずつ解るにつれ精神的に参ってきたそうである。これから家族はどうやって生きて行くのか皆目判らないという。

家から出るとか出ないとかの問題じゃないのだ。自分たちのこれからの人生、子供達の将来。家、実家の田畑。

声もかけられない程憔悴しきっている。ニュースでは解らない当事者達の希望しない悲劇である。

でも、起きてしまった。三月十一日に........。




震災から四度目の満月の日に


花萎れ河は枯れゆきふるさとの

     明日も寂しげ夏草ばかり



朝の雨あじさい愛でる人も無く

    ふるさとの庭に今年も咲きて



メールさえ三月もかかり返り来る、

     見えなき灰はたった三日で



満月に照らされ君のふるさとは、

    たった50キロ瓦礫の炉心に


いまだ炉心から50キロにひっそり住む友人に捧げる







夏に詠う儚き四首

せみしぐれ儚き命夏空に

      我も競いて君に呟き



道端の夏草ばかり生い茂り

   我の愛でるは名も無き野菊



お日様の爽やかに入り来る今日、六時

       海原漂うガラスの小舟



寝ても覚め、覚めても寝てもなに思ふ

      十月十日で何も生まれず








夢三十四夜「文月の逢瀬」



函館にも短い夏の訪れである。五月から六月にかけての好天から一転、北海道は七月に入るとオホーツク海の乾いた高気圧の影響を受けて冷たい山背風が吹く。東風は悲しい程冷たく寒いのである。

一方、梅雨前線は北東北に停滞し函館辺りは「蝦夷梅雨」になる。

折角の織り姫と彦星の出会いの七夕の日は天の川は久しく見えたためしがない。年にたった一度の逢瀬と言うのに。




七夕三首


カササギの架けし橋を渡り来て

    織姫に逢ふ今日、天の川



雨に濡れ七夕飾りの何気なく

       星彦探す文月七日



七夕のたった一度の逢瀬なれ

     願ひ叶わぬ雨空見あげて








天空を二人の恋人同士の素敵な歌が飛び交っている


「命より 流されし涙は また命 
        恵みてゆくらむ」wkn-yam


返歌


涙さへ流さず今日に生き行きて




     君の思ひを半月に託し




夕ふ暮れの夏空仰ぎ彼の地にて


     
     二人して詠む素敵な愛を


夜中に天空を恋人達の愛歌が飛び交う夜


天空を恋駆け巡り三十一の




       愛の呟き我見守りて





悲しきはピアノの音に流れきて




      海霧に抱かれ函館の朝



「それぞれに巣立つ君らをわけへだてゆく
  かもしれない格差というもの」 Long ShanXiu


返歌
虫けらのやうに無視され


 我が身なれ虹見ゆる時、雨の後には




「巣立つ朝 母が賜ひしアルバムの 
       幼き我抱く母をぞ見入る」wkn-yam 


返歌
微睡みて柔はらかき肌に手を置きぬ、


       ふと母の夢幼き我に


「海の青陽炎ゆれて夏雲の
       湧き上がる君へのおもひ」wkn-yam
返歌


陽炎に纏われ臥牛の山肌に


 夏来たりなば早一年(ひととせ)に






2011年7月16日土曜日

夢三十三夜「六月の函館」


彼岸が明けて夏至までの間、北国は最も素敵な季節の訪れである。
とにかく素敵なのだ。わくわくするのだ。
次から次と花が咲き、山肌はグレイの世界から若緑そして夏色に変わる。

寒い日、真夏の様な暑い日が交差する。
桜、ライラック、つつじが咲き乱れ甘い香りを放つ。

この季節は海霧の季節でもある。ミルク色のガスが街中を優しく包む。優しい六月の函館である。





海霧に夕陽は沈む

夕ふ暮れの 明日に消えて 寂しさを

     優しく包む 貴方が居(おり)て





六月は海霧の季節でもある



六月の花

リラ色の花の姿に立ち止まり

      そっと香は梅雨空の頃



世田谷の松葉通りのくちなしの

      花の香りを今思い出し



たった一夜の愛

おひさまに三人三様涙する

    父、母の愛、あなたの愛を




あじさいを愛でる貴方の優しさに

      雨音さえも素敵な六月




はまなすのたった一日(ひとひ)の

    命なれ、鮮やかな紅(あか)

            浜風に揺れ




紫陽花のひとつひとつの花びらに、

     旅の思い出そっと重ねて




夏近き 草の匂ひの むせかえる 

    雲に隠れし おぼろ月夜の



クチナシの香りがむせ返る

天つ風 雲の通い路 吹き抜けぬ 

    花の香りの 窓辺にとどき




タンポポの 綿毛のやうに我も行く 

   あなたのもとへ ひっそりそっと




くちなしの 香も今は 忘れなじ 

      六月の街は 夏色の空











朝霧に 樹々の緑も 溶け込みて 

  抹茶ミルクの やうに今日、明けて



海原.......

さざ波の 優しく揺れる 海原に 

    小舟のやうに 心も揺れて




いつの間に春から夏に変わりゆく

      雲の白さに心も揺れて




おはように、おはようと返る何気なく

        重ねし歳の三十幾年



再会 

白き手の君の思いで今ここに交わす

        二言三言ぎこちなく



父の日に

父の日に贈られしもの何もなく

     夕餉の会話、楽しき絆




ハグされてうふふと見つめる娘なれ

    モヒート二杯、君はしあわせ




昔のやう、おとぎ話を寝つくまで、

       語る娘は彼のことを














母、文子63歳




夏至の函館、三景三首




ベイエリア寂しく






暮れなずむ港

薄暮の臥牛山






北国に夏を迎へし今日、夏至に


   薄暮の海は漁り火揺れて







友集まりうふふ話は深夜まで

久かたの友の顔見し語らひぬ、

    心解きてのかく庄の美味さ




ときめきと偽りの心、呟きぬ

    今日の終りに何も忘れて




儚きはひと夜で消えし夢なれど

   また咲く日待つ浜茄子のやう




水無月の雨に菖蒲(あやめ)の紫の

    スクと清まして咲き誇らんと




函館の山を包みし海霧の優しき

       氷の微笑みのやう



The Water Is Wide

さざ波の遥かに続く海原を

  飛び渡らんと羽根なく侘しく





この愛をあなたの許へ届けんと

   消へ入りそうに小さな舟で




夜が明ける今日海原に漕ぎ行かん

    想ひを乗せて波間さまよふ



六月終わり歌

戯れに呟きを遊び昨日きょう、

    細き糸にはもう擦り切れん


素敵な六月は終わった.....