2011年8月13日土曜日

夢三十五夜「四度目の満月」




未曾有の大震災から早、五ヶ月が過ぎた。盆の入りである。みちのくに帰省する人たちも多く居る。でもふるさとは変わり果て、家も流され家族さえまだ行方不明の方が複雑な気持ちで新盆を迎える。

友人は炉心から50キロの地に住んでいる。震災当初は「50キロも離れているので大丈夫よ」と言っていた。情報が少しずつ解るにつれ精神的に参ってきたそうである。これから家族はどうやって生きて行くのか皆目判らないという。

家から出るとか出ないとかの問題じゃないのだ。自分たちのこれからの人生、子供達の将来。家、実家の田畑。

声もかけられない程憔悴しきっている。ニュースでは解らない当事者達の希望しない悲劇である。

でも、起きてしまった。三月十一日に........。




震災から四度目の満月の日に


花萎れ河は枯れゆきふるさとの

     明日も寂しげ夏草ばかり



朝の雨あじさい愛でる人も無く

    ふるさとの庭に今年も咲きて



メールさえ三月もかかり返り来る、

     見えなき灰はたった三日で



満月に照らされ君のふるさとは、

    たった50キロ瓦礫の炉心に


いまだ炉心から50キロにひっそり住む友人に捧げる







夏に詠う儚き四首

せみしぐれ儚き命夏空に

      我も競いて君に呟き



道端の夏草ばかり生い茂り

   我の愛でるは名も無き野菊



お日様の爽やかに入り来る今日、六時

       海原漂うガラスの小舟



寝ても覚め、覚めても寝てもなに思ふ

      十月十日で何も生まれず








夢三十四夜「文月の逢瀬」



函館にも短い夏の訪れである。五月から六月にかけての好天から一転、北海道は七月に入るとオホーツク海の乾いた高気圧の影響を受けて冷たい山背風が吹く。東風は悲しい程冷たく寒いのである。

一方、梅雨前線は北東北に停滞し函館辺りは「蝦夷梅雨」になる。

折角の織り姫と彦星の出会いの七夕の日は天の川は久しく見えたためしがない。年にたった一度の逢瀬と言うのに。




七夕三首


カササギの架けし橋を渡り来て

    織姫に逢ふ今日、天の川



雨に濡れ七夕飾りの何気なく

       星彦探す文月七日



七夕のたった一度の逢瀬なれ

     願ひ叶わぬ雨空見あげて








天空を二人の恋人同士の素敵な歌が飛び交っている


「命より 流されし涙は また命 
        恵みてゆくらむ」wkn-yam


返歌


涙さへ流さず今日に生き行きて




     君の思ひを半月に託し




夕ふ暮れの夏空仰ぎ彼の地にて


     
     二人して詠む素敵な愛を


夜中に天空を恋人達の愛歌が飛び交う夜


天空を恋駆け巡り三十一の




       愛の呟き我見守りて





悲しきはピアノの音に流れきて




      海霧に抱かれ函館の朝



「それぞれに巣立つ君らをわけへだてゆく
  かもしれない格差というもの」 Long ShanXiu


返歌
虫けらのやうに無視され


 我が身なれ虹見ゆる時、雨の後には




「巣立つ朝 母が賜ひしアルバムの 
       幼き我抱く母をぞ見入る」wkn-yam 


返歌
微睡みて柔はらかき肌に手を置きぬ、


       ふと母の夢幼き我に


「海の青陽炎ゆれて夏雲の
       湧き上がる君へのおもひ」wkn-yam
返歌


陽炎に纏われ臥牛の山肌に


 夏来たりなば早一年(ひととせ)に